ながさき若者会議が描く長崎の未来像
この長崎の未来像は、若者会議メンバーに「どんなことを大切にする長崎にしたい?」「あなたはどんなことをやってみたい?」という2つの問いを聞いて集まった延べ100以上の意見をまとめてつくったものです。ここに描いた長崎の5つの将来像を形にできるように、日々活動に取り組んでいます。
“いいこと” が続けられるまち。(仕事・経済)
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人が減っていく。まちから活気がなくなっていく。
そんな漠然とした不安はあるけれど、
ひとたび耳を澄ませると、そっと煌めく声がする。
このまちで暮らしたい。いつか長崎へ帰ってきたい。
たしかな想いを抱く若者が「輝ける場所」はなくもない。
けれども、
その先にある「輝き続けられる道」に歩みを進めていくためには、
挑戦することへの寛容さと、継続するためのエネルギーが必要です。
私たちは、“いいこと” を続けられる環境こそが、
誰もが輝き続けられるまちへの「はじめの一歩」だと信じています。
例えば…
●社会的に良いものがしっかりと評価され、ビジネスとして成り立っているまち
●チャレンジに寛容なまち
●出て行っても戻ってきやすいまち
●隣の人とチャレンジしあえるまち
●「アイデア」を大切にするまち
●自然を身近に感じながらも最先端に触れられるまち
●階段を補助してくれるロボットと共存するまち
●歴史、伝統と進化や挑戦を大切にする
●安価で作業できるコワーキングスペースが多いまち
“知恵”と“助け合い”が息づくまち。(暮らしやすさ)
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坂のまちで暮らしてきた先人たちは、
あらゆる不便と向き合い、知恵と助け合いで暮らしを補ってきました。
移りゆく年月の中で、
いつしか私たちの暮らしは便利で溢れるようになり、
だからこそ、より不便が目に見えるようになりました。
暮らしにくさを憂うことは簡単かもしれないけれど、
まずは立ち止まって、ゆっくり周りを見渡してみませんか?
なければつくろう。足りなければ分け合おう。
それでもだめなら、そのとき考えよう。
このまちには、先人たちが紡いでくれた暮らしと、
残してくれた轍があります。
明日の暮らしをつくる、私たちのために。
例えば…
●長崎の歴史を活かし、新しいことを生み出すまち
●子どもが安心して遊べるまち
●使えていない空き家などを有効活用するまち
●子どもたち、若い人たちの声で溢れるまち
●ベンチが多くあって、一人でぼーっとできるまち
●公共交通が行き届き、移動しやすいまち
●シェアリングサービスや新しいモビリティなど新しい移動手段で溢れるまち
垣根を越えた繋がりが生まれるまち。(つながり)
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友人を2人辿れば、ひとつの輪が繋がる。
長崎は、そんな小さな繋がりが折り重なっているまちです。
身近なところに出逢いがある一方で、
ひとたび繋がった輪の入り口は、よそ者が入りづらい敷居の高さに。
それは時として、新たな可能性も一緒に閉ざしてしまう。
もし、世代や価値観の垣根を越えた繋がりが生まれたら、
このまちと、私たちの可能性を、少しだけ広げてくれるのかもしれない。
私たちは、このまちが大切にする自然や歴史、文化と同じくらい、
人との繋がりや違いを大切にしたい。
例えば…
●つながりが多い、あたたかいまち
●斜め上の関係など、世代間の距離が近いまち
●隣の人を気がけ、いつでも助けあえるまち
●考え方が違うもの同士でも対話の機会が多いまち
●ジェンダーギャップのない、多様性あふれるまち
●外国人も障がいのある人も一緒になって暮らせる本当の意味での多様性あふれるまち
心から好きになれるまち。(文化)
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異国情緒が漂うまち。綺麗な海が見えるまち。魚がおいしいまち。
頭の中でぷかぷかと浮かぶ「長崎らしさ」を、
私たちは肌で感じられているでしょうか?
日常に溶け込んだ幸せに目を向けられたら、
暮らしの中に散りばめられた「長崎らしさ」に気づくことができたなら、
このまちをもっと好きになれる。きっと誰かに勧めたくなる。
私たち自身がまちを知ることで、
「自分らしさ」もその中に転がっているのかもしれない。
豊富な「長崎らしさ」の中から、
どれか一つでも琴線に触れるものはありますか?
好きな自分でいられるからこそ、まちを愛する心が育まれていく。
例えば…
●長崎の良さを見つけられるまち
●自分が良い、楽しいと思うものを表現できるまち
●あなたらしさを大切にし、それがまちの魅力になっているまち
●自分を好きになり、住んでいるまちも好きになれるまち
●音楽に溢れるまち
●長崎らしさを活かしたおしゃれなまち
●洋服を選べる場所がたくさんあるまち
“学び”の選択肢が多いまち。(学び・教育)
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進みたい道も、叶えたい夢も、探したところで簡単には見つからない。
自分自身の人生とまっすぐ向き合えないまま、
私たちは少しずつ、そして着実に大人への階段をのぼっています。
いざ大人になって「あのとき勉強していれば良かった」なんて、
そんな曖昧な後悔を未来へ託すのは、ちょっぴり乱暴なのかもしれない。
一人ひとりが “学び” への探究心を失わなければ、
大人たちが持つ経験と、若者が抱く好奇心を和えることができたなら、
私たちの世界は、きっとどこまでも拓けていく。
進みたい道も、叶えたい夢も、一人で探さなくたっていい。
そう思えるまちこそが、“学び” の選択肢が多いまちなのだと思います。
例えば…
●多様な人と出会える機会が多いまち
●自分を見つめ直す余白があるまち
●多様な選択肢があって、自分の夢を見つけやすいまち
●読み書き以外の勉強をたくさんできるまち
●学校以外での人との出会い、学べる機会が多いまち
●平和について考え続けられるまち
●どの世代になっていても、学び続ける人が多いまち